松本人志「死んだら負け」は不器用だが、愛のある言葉。

日記

松本人志「死んだら負け」

Yahooニュースの見出しにぴったりのキャッチーな言葉である。

 

その言葉の意味について

自分なりの意見をここで述べる。

 

以下は実際のYahoo!ニュースのリンクである。

 

 Yahoo!ニュース 
松本人志「死んだら負け」ご当地アイドル自殺での持論が波紋(女性自身) - Yahoo!...
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181016-00010003-jisin-ent
10月14日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)では愛媛県が活動拠点のアイドルグ - Yahoo!ニュース(女性自身)

 

 

 

死んだら負け

Yahoo!ニュース見出し

松本人志「死んだら負け」ご当地アイドル自殺での持論が波紋

 

 

死んだら負けなのか?

死んだら負けなのか。

結論から言うと、負けではない。

 

勝ち負けというものは、対戦相手がいて初めて成立するものである。

今回のアイドルの自殺の件に関しては、

自殺して、誰が勝ったのか。

明確な客観的事実がないため、負けではない。

 

生物の基本的な原則として、「死」というものは必ず訪れるものである。

死の年齢が速かろうと、遅かろうと、必ず死ぬものである。

死は出来事に他ならない。

 

なぜ負けという表現なのか

松本人志はなぜ

本来の言葉の意味とは違う「死んだら負け」という表現を使ったのか

 

 

それは、この言葉から推測ができる

”自殺者が出てこういうニュースを扱うときになかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。ついついかばってしまいがちなんだけど、やっぱり『死んだら負けや』っていうことをもっとみんなが言わないと”

 

 

ニュースやメディアでは「自殺しました」という事実だけを取り扱い、

自殺というものが、存在する社会という事実のみを報道しているからではないだろうか

 

 

続けて、松本人志はメディアの報道を受け取る側についても意見を述べている。

 

“「死んだら皆がかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです」と明かし、「授業でも死んだら負けやぞっていうことをもっともっと教えていくべき」と訴えた。”

 

メディアを受け取る側の問題点として

自殺を受けいれる風潮がある。としている。

 

 

これらの発言から

メディアの報道、受け手側の受動的な態度に対して

「自殺を受けいれる世の中で良いのか?」

「社会が自殺を受けいれてはダメだ」

「自殺したら負けなんだ」

「生きていたら勝ちなんだ」

「生きている方が楽しい」

 

という投げかけのように感じた。

 

 

自殺した人は負けなのか

 

「死んだら負け」ではない。

 

16歳という若さで自ら自殺という道を選んでしまったのか。

 

 

 

「生きているより死んだ方が良い」

という考えに至ってしまったのであろう。

 

逃げ場を失ってしまった人間。

報道にはされないが、社会から受け入れられず

自ら「死を選んでしまった人」世の中にはいる。

 

松本人志はこの点についても

”松本は自殺について「正直言って理由なんて、ひとつじゃないと思うんですよ。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲を超えちゃって、それこそ水がコップからあふれ出ていっちゃうんだと思うんです」と持論を展開。”

 

自殺というものは当事者にしか分からない苦しみがある。

という一定の理解を示している。

 

自殺を選ぶ人の気持ちは当事者にしか分からない。

「勝ち負けではない」

「当事者、親族、加害者の事についてはなんとも言えない」

 

という趣旨の発言ではないだろうか。

 

「自殺したら負け」という言葉は個人に対しての意見ではなく、

社会に対しての言葉である。

 

 

メディアに対する受動的な態度

今回の松本人志の「死んだら負け」発言が巻き起こした”波紋”というものは、

松本人志の発言が原因ではない。

 

 

波紋の原因は

メディアの報道に対する受け手側の態度にもある。

 

 

”波紋の言葉の意味”

はもん
波紋
  1. 水に石などを投げた時に広がる、波の輪のような模様。転じて、動揺を与えるような影響。

     「―を投げかける」

 

 

波紋は水がないと起こらない。

 

投げられる方にも原因がある。

 

 

この記事を書いた理由

私も「自殺」「死」「生きる意味」について考えたことがあるからである。

 

2018年4月に仕事を辞めた。

私は、職場の人間関係に追い詰められ

「自分は仕事ができない人」

「何をやっても上手くいかない人」

「生きていても価値がない人」

 

という固定概念に苦しみ日々を過ごしていた。

「生きる意味を失っていた」感覚があった。

 

 

それでも、生きようと思えたのは

仕事を辞めても、生き生きとしている人に出会ったり、友人と他愛もない話をしたり、

学生の頃、憧れた「チェ・ゲバラ」の書籍をみたり、好きだった音楽を聞いているうちに癒され、励まされて

「仕事に縛られず、好きなことをしよう」と思えたからである。

 

 

「どうせ、いつか死ぬのであれば」と行きたかったキューバに旅行に行くことにした。

キューバの綺麗な景色や面白い人やトラブル、不味かったご飯が最高に心地よく、

「生きる意味を見出すこと」が出来るようになった。

 

「人生は楽しいもの」という感覚になった。

 

 

それからの日々は

自分は「何をやってもうまくいかない人」という固定概念に縛られず

色々なことに挑戦して、人生を楽しんでいる。

 

 

松本人志の発言は

自殺を受けいれがちな寂しい社会

に対する

 

不器用ながら愛のある発言

だと感じたため、この記事を書いた。

 

1人でも多くの人が、自殺ではなく、生きることを選択する社会を望む

 

くるくるくる男くん×生きざまTV – 主観と客観を乗り越えて

 

 

 

 

 

 

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